屈折する星屑エセー

世はさだめなきこそ いみじけれ

大阪ダブル選が物語る、日本人の投票率が低い理由を考察。

11道府県知事選が21日に告示されました。

なかでも私が疑問に感じているのは大阪ダブル選と4県の保守分裂です。

今回は大阪ダブル選を例に記事を書きたいと思います。

大阪ダブル選では維新VS他政党(自、立、国、公、共)の全面対決の模様。

街頭演説に立った元大阪府知事の松井氏は

松井氏「相手陣営からいろいろ頼まれたときは『自民党と共産党と立憲民主党が組むのはおかしいから、アンタもこっちおいで』と言って引っ張って来てください」

と述べたそうです。

あくまで私が感じていることを前提に話をすすめていきますが、この松井氏の発言は個人的には当然のことを話しているように思えてなりません。

私は大阪の都構想の是非や地方議会の県政府政について、特定の党を支持できるほど各党の政策や議員の働きには詳しくありません。

ですが、維新VS他国政政党の全面対決一騎打ちの構図は違和感を覚えます。

なぜなら自民党と立憲民主党と共産党が手を組むってあり得ますか?記憶に新しいモリカケ問題でも立民など旧民主党社会党勢力は緊張の高まる北朝鮮の核・ミサイル問題や中国による東シナ海進出などはどこ吹く風で延々と自民党を追及していましたよね。

その自民党と立民が維新潰しのためだけに手を組みましょうって国民は到底感覚的に受け入れられない。呉越同舟とも維新側が批判しているそうですが、まったくその通りです。

もっとも政界は権力闘争の場であり、魑魅魍魎がわんさかいる世界です。それに国政と都道府県政はまったく別のものなのかもしれません。目的のためなら手段を選ばないというのが生き抜く術なのかもしれません。

 

しかし、国民はそうは思わない(と私は思う)。

 

一般の国民からすれば国会でも地方議会でも自民は自民、立民は立民、共産は共産と映ります。

国会では重要法案そっちのけで与党を追及しまくっていた野党が時と場合により地方選挙では手を組みましょうというやり方はまるで理解が得られない。
このような節操のない政治をするからこそ今の無党派層を生んでいると思うのです。
各党には党是というものがあって、それに共感できる人々が集まって政策を練っていく。それなのに選挙ではまるで反対の意見を持つ人間とくっついて共通の候補者を応援する。

これを見た有権者は「党の看板関係ある?」って思いませんか。

まさに野合。

だれがなってもどうせ一緒と思うのは必然です。

議員が若者の投票率が低いと嘆くのは勝手ですが、その原因を作っているのは自分たちであるという認識を持たない限り政治は見向きもされないと思います。(だからといって投票に行かなくていいという理由にはならない。その場合は白票を投じるべき)

さらに例を出すと

改憲に意欲を持つ安倍首相は年に一度、松井元知事と橋下徹氏と共に会食をするそうですが、この会食の意味は同じ改憲勢力である維新の協力は不可欠という状況を表しています。しかし今回のダブル選挙では維新と自民は敵ですよね。つまり、

 

国政では友達だけど地方では敵だよ

 

という構図。

これは何度考えてもやっぱり感覚的にわからない。よく政党本部と県連の軋轢など報道されますが国民は国も地方も同じ政党としか思わないわけで、だからといって他政党と協力するのは根本的におかしい。自民と維新は政策が比較的に似ており、両党は協力してきましたが、自民は維新とたもとを分かつ決定をしました。

そこで私は思うわけです。自民党にとって政策以上に優先すべき何かがあるのでは?と。政党にとって政策以上に大事なものってないと思うのですが・・・。

ともすると別の発想にたどり着きます。

 

既得権益があるのかな、と。

 

既存政党がなりふり構わず手を結ぶということはそこに何か甘い汁があると思われてもしかたないですね。ますます幻滅していく国民。

むやみやたらと手を組むのではなくて、党が違うのだから各党候補者を出すのが筋だと思います。そのうえで政策ごとに協力したり対決したりというのが本来の議会制民主主義の姿だと思います。憲法ひとつみても改憲派と護憲派が同じ候補者を推薦する。ではその候補者は憲法問題に対しどのように自身の政策を反映させるのか。

結局、保革が同一の候補者を出すことはその候補者自身の政治活動を制限することになりますよね。あちらを立てればこちらが立たず。

 

はっきり言って、ナメられてますよね国民


大人たちの矛盾した行動を見るたびに国民はますます政治に無関心になっていく。

投票率を上げたいと言うなら議員さん達に率先してそれなりの態度を見せてほしいと思います。

国と地方での無節操な議員達に対する、いち国民としての意見でした。