屈折する星屑エセー

世はさだめなきこそ いみじけれ

祖母の胃ろう造設で考えるQOD(死の質)。尊厳死はあっていい。

昨夜、父から電話があり祖母が胃ろうを造設するという話を聞いた。

 

胃ろうとは・・・

PEG(ペグ)とは、内視鏡を使って「おなかに小さな口」を造る手術のことです。 (PEG=Percutaneous Endoscopic Gastrostomy : 経皮内視鏡的胃瘻造設術)

 造られたおなかの口を「胃瘻(胃ろう)」と言い、取り付けられた器具を「胃ろうカテーテル」と言います。(カテーテル=管、チューブ)

 口から食事のとれない方や、食べてもむせ込んで肺炎などを起こしやすい方に、直接胃に栄養を入れる栄養投与の方法です。

胃ろう(PEG)とは?|胃ろう入門|NPO法人PDN

www.peg.or.jp

私自身、延命措置としての胃ろう造設はやってほしくない。

意識があり判断能力もあって何らかの摂食障害のための胃ろうなら受け入れるが、認知症など意思の疎通が取れない中での胃ろう造設は私であれば拒否したい。

これはPEG(胃ろう造設)だけではなくIVH(中心静脈栄養)も同様だ。

 

人間、食べられなくなったら終わりだよ

 

とよく言うが全くその通りだと思う。

食べ物を口から入れてもらうためにどれだけの医療スタッフが奮闘するか。食事は生きるのに最低限絶対的に必要だからだ。

胃ろうやIVHは自身の消化器や血管が外界と交通している。口からではなく栄養を直接流し込む合理的な方法だ。

それゆえ意識や思考が戻る可能性が無い状態での胃ろうやIVHは私であれば生きてるとは言い難い。延命のためだけに必要な処置であると認識している。

そのため私は不必要な延命措置はしないでくれと妻に伝えてある。そのような状態の私を生かすのは家族や医療機関など周囲への負担が大きいし国の医療費の圧迫にもなるだろう。医療従事者の端くれとしての小さな矜持である。その点、妻も医療職なので理解が早い。

そして興味深い記事を見つけた。

医師の7割、終末期に胃ろうや点滴望まず◆Vol.2

3割以上が「一切の延命治療」を拒否

2016年8月1日 成相通子(m3.com編集部)

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https://www.m3.com/open/iryoIshin/article/433838/

このアンケートでは自身がそうなったら医師の多くは胃ろう、IVHなどの延命措置をしてほしくないとしている。

私もPEG造設・交換やIVHの処置に携わったが、それらの対象となった患者さんの状態を見ると私自身も上のアンケート同様を選ぶ。

ただし、これはあくまで私が考える生き方、死に方であって世の中の患者さんにはいろんな事情があると思うので他人にどうすべきと言う意見では無い。

 

さて、祖母の話である。

認知症が激しくなった後、脳梗塞を発症し何も食べられなくなった祖母は今何を考えているのだろう。

あれだけ「肉!肉!」とふた言目には肉を食べたいと言っていたが、まぁその肉(しかも牛肉しか肉とは認めない)のおかげで4つも元号をまたぐ大往生である。

認知症で全介助、さらには胃ろうをしようとしているが果たしてそれは生きているのだろうか。大好物の肉を食べられなくなってしまったし子供達や孫たちもわかっているのかわからなくなってしまったのか、それすらも判別が難しい。

この状態になってまで生きたいと本人は願っているのか。

 

ではこのように本人の意思がわからない場合、医療行為の同意書は誰が取るのだろう。うちの祖母の場合、今の状況を想定した場合の本人からの希望がなかったため息子である父が胃ろうの造設にサインをした。

しかしこれは本人の意思とは関係なく祖母の生殺与奪の権利を与えられたことに他ならない。これは生きる権利、および死ぬ権利を自分以外に託していることになる。

yomidr.yomiuri.co.jp

 本人への医療行為には本人の同意が不可欠である。

しかしこの記事にあるように本人が自身への医療行為に同意ができない場合は、本人の意思がどこにも介在していないことになる。例で紹介されていたがエンディングノートに書いたにも関わらず家族の意思によって延命措置がなされた男性のように。

私自身はQOD(quality of death:日本語にあえて訳すなら尊厳死だろうか)で人生を終わりたい。

 

祖母の胃ろう造設だが、これまでの論調からPEGに反対のように受け取られるかもしれない。悪く言えば死んでもらっても構わない、というような。

しかし、私は根っからのおばあちゃん子である。それはもうのび太とおばあちゃんくらいの。

本人はどう思っているかわからないが、家族としてはPEGをしても祖母にまだまだ頑張ってほしいと思う。

・・・と、考えたときに初めて本人の意思と家族の意思の間には乖離があると気づいた。やはり本人に意思がないというのは、いくら希望を伝えておいても期待に沿ってくれない可能性が高いのだなと思った。優先されるのは家族のエゴかもしれない。

 

安楽死制度を考える会は今回の参議院選挙で議席獲得はならなかったが、これを機に今後終活への認識を深めなければならないと思う。日本はもうその問題から目をそらすことはできない。若者も避けては通れない問題だ。

 

祖母にはまだ生きてもらってひ孫の成長を見守ってもらいたいと思う。そして時々、焼肉をすり潰したものを胃に流し込んでもらおう。

もちろん自家製ニンニク醤油付きで!

 

また今回の記事もなんの話かよくわからないが、長文お付き合いくださり感謝です。